ちょっとそこでね。けつまずきましたわ

●お店を始めたきっかけは

それは主人がね。
前も申したように、呉服の商売をしよう思うたんですけどね。
やっぱりその時分のことやからね。
なかなか今みたいにね。
自分の貯めた金では、なかなかもう広いとこ行けませんしね。
それでもしかけたんだけど、2年くらいで辞めましたかね。
ほいでもう、その後をね。
締めたら私が楽出来るんやったかも知れんけど。
やっぱり私が洋裁の経験が有るもんでね。
それでまあ、してみようかな言うような気持ちになってね。
やっぱり主人が第2の就職やからね。
ほいでももう子どももねえ。大きいせないかんし言うとこで。
ちょっとそこでね。けつまずきましたわ。

もう学校出てスッと帰ればええけんども、出発間違えましたわ

そやから38年からね。
主人が開けて、うん38年。
それから主人が2年くらいね。
こんな狭いとこで京呉服は売られへんとかね。いろいろとね。
小言言いながら居ったんですけどね。
その時分は私は呉服なんか。
もうこないして人さんのね。こともようしません。
そんなね。上手言う気は無いしね。
私はもう、ほんとの田舎っぺですのでね。

洋裁学校行ってからね。
それからもうやっぱ神戸に居っても良いなあと。
自分でね。そう思ってね。
そしたらまた親戚から。
それは洋裁学校行ったんですけどね。
そしたら人をね。もうちょっとね。
ほんまの洋裁店みたいなとこで習ったらどう言うような紹介受けたので。
そいで、またそこでちょっと間。1年ちょっと居りましたかね。
ほいで結婚したんですよね。
そやからもう、もう学校出てスッと帰ればええけんども、出発間違えましたわ。

やっぱり学校で基礎習っとったから、まあ良かったのかなあと思いますよね

ほんとにね。もうそんなね。無駄な話ばっかしですけどね。

それからずっと、まあね、してたら。
人さんがねえ。さしてくれるようになり。
まあ今じっと思うとね。
やっぱり学校で基礎習っとったから、まあ良かったのかなあと思いますよね。
ああほいでね。どう言うんですか。
もうオーダーしか無かったんやね。洋服。
まあ普段着のね。そう言う物だったら良いけど。
やっぱりどこかに出かける言うと、みんなね。
結構なお方はオーダーね。したりしてたね。

婦人服ですよ。私はね。婦人服。

そいでね。
そないしてる間に、ちょっと間その様子をね。
そんなとこに世話になった時にはね。
1,2軒行ったとこに紳士物をしてるお方が居ったのよ。
そいでその私が行ったとこの先生が、その人は気安かったのでね。
難しいことが出来てきたら、あそこで聞いてみなさい言うやな式でね。
チョコチョコその人にね。教えていただいたですよ。
別にそれはもう、パッと行ってはね。
こんなのどうしたら良い言うような式で。
そやから、ちょっとぐらいね。
その人に教わったことやら、もうゴチャゴチャですわ。
今はもうゴチャゴチャ。

その人に合わせてね。肩綿作ってましたよ

それでもねえ。その時はね。
もう一所懸命、手伝うてくださるね。女の子が居ったんですよ。
主人とね。別れ、別れる言うて、別になった時はね。
その人がね。もうずっとほんと、終戦違うわ。震災後までね。その人が手伝って。
仕事取りに来ては、またね。持って帰ってね。
こうしてきてちょうだい言うたらブラウスとかね。スーツでもその人もしていただいたんですよ。
その人も私がお世話になったとこに、私の後から入ってきて。
ほいで私の横で、当時は肩綿を一生懸命にねえ。
肩綿入れるような時代。
そやから肩綿をもう。そうやなあ。1年も2年も肩綿ばっかししたね。その子は。
いや。今の売ってますでしょ。
その時分でも、一針一針こうね。縫ってましたよ。
綿をね。ずっと敷いてね。
その人に合わせてね。肩綿作ってましたよ。
まあそう言うことだったんでしょうね。今と違ってね。
今はいくらでも売ってますしね。
また今、肩綿言うのは有りませんよ。売ってないですよ。
今もう肩綿の入った服言うんだったらね。
私、体型が悪いから肩綿やっぱり入れとくとか言うような方もいらっしゃるね。

繰り返して繰り返して行くらしいですよ

二十年一昔言いよったね。
やっぱり20年したらデザインがまた戻って来るんや。
そやから私ら習った時分にはね。
フレアスカートみたいな。習い掛けた時は。
そいで一遍、フレアスカートは20年くらいで流行して。
またパンツとかズボンに替わってしもうて。
またこの頃、なんかフレアを履いとうでしょ。
やっぱり20年したら戻る言うてね。
そんな話し。クルクルとね。

生地でもそうですね。
やっぱり20年したらまた前のね。
レースが出てきたり、そないするんやって。

それはまあ、ほんとのことかどうか知りませんけどね。
それは言えるね。
繰り返して繰り返して行くらしいですよ。

たぶん今もこのね。
衣料品言うようなんがもう一番底になってますやん。
下地言うんかね。
せやから私ら、もうあれやわ。
もうほんまのリフォームとかに、直し言う物にね。落ちてしもうとるわ。

今はもうほんまにそんな方は震災で無くなったね

今はもうねえ。
既製服がいくらでも有りますでしょう。
そやからね。もうそう言うふうにね。出来る物を。
そやけどまあ今お話ししたようにね。
いろいろな物さしてもらったから。
今直しやったらもう楽や言うような気持ちですよ。
まあずっとしてたからね。

お直しの物もあるしね。
ちょっとたまにね。縫うてる物もあるしね。

せやけどもうね。もう一時はね。
もうほんとに、私の先してとかね。
そない言うたりして、みんな待っていただいていたけんどね。
今はもうほんまにそんな方は震災で無くなったね。
お金の有るような、そんな人は無くなったね。
今はもう、ほんまにみんな安いので、月曜火曜でも着替えて。

やっぱしね。そのこと思たらね。もうやっぱし、よう捨てませんね

これは、まあ古い物こないして着とるんですよ。
私ね。それこそもう人さんに。
そやけんどもうその時分はねえ。
今みたいに、ちょっと出る時はこの服ね。
ちょっともう気張った時はスーツ言うような式でね。
私らでもまあ、しょうもない物でもまあたくさん持ってるわね。
捨てたらええのに捨てんとまあ置いてますけどね。
やっぱしね。そのこと思たらね。
もうやっぱし、よう捨てませんね。
あの時ね。これもう気に入って拵えたな言うに思ってね。

おばちゃん顔写すよりもミシン写しといた方がお客なんぼでも来んぞ、てなことを言うてな

足踏みよ。
今うちの私女の子2人居ますけどね。
妹の方がね。産まれた時にね。
私がもう、その時分にはもう、ダメだってんねえ。
お父さんがいつどないなるか分からないから。
しましょう思ってた時でね。
そやからこのミシンをね。買ってくれました。主人が。
お嫁に来る時は一つね。親もミシンを持っていき言うて買ってくれたけどね。
そやけんど、それはもう家庭用やったから。
これはどっちか言うと営業用やからね。ブラザーのね。
このミシン屋さん今でもありますよ。ブラザーの特約店のようなね。
ほんで私が分解掃除にいっぺんね。ちょっとの間。
まあほんまに、うちの陳列に一つ残してあるやつよりもええわとか言うてね。
なんかここらに、やっぱこの番号が有るんやね。
その当時の物はやっぱし良かったなあって言うてくれるね。
なんでもやっぱりちょっとこう、そう言うね。
ミシン屋さんはミシン屋さんで、その時の何かが有るんだね。
やっぱり今やったらね。ほんまに2万円でもあるわ言いますけどね。
もうそら使いこなされへんですよ。
ほいでね。市場の人でも言うねん。
もうなあ。おばちゃん顔写すよりもミシン写しといた方がお客なんぼでも来んぞ、てなことを言うてな。
冗談言うて笑うんやけんどな。
まあようこれがなあ。ほんまに。

まあ娘やからね。まあ何なりと話する

そやからその子が産まれた時やから。
せやからもう、その子が32年に産まれたんかな。
せやからもう、32年だったらなんぼなる。32年生まれの子やわ。
60、ちょっともう回っとう。
65までは頑張らないかんとか言うてね。
そない言うて、よう話にするけんどね。
もう60、65にはもうお母さんみたいに、仕事どころかもう今くたびれとんねん、とか言うてね。
その子ね。そない言うてね。元は銀行員やった子やけどね。
何でも相談したらね。ダアッとね。どう言うか。話したりね。
名谷にね。居りますよ。その子はね。
そやからね。お母さんそんな今日みたいな寒い日にも居とったの言うから、うん言うたら。
もうほんまに明日のこと考えとるの、とか言うてね。叱られるけどね。
まあ娘やからね。まあ何なりと話する。

その子だけしか居らない。
1人はもうね。転勤族の嫁さんなって福岡に。名古屋から福岡へ行ったり。
旦那はもう、ここらウロウロして、阪神間に居ったりするけんどね。
その子はもう東京へね。子どもを学校にやるから言うて。

もう一つね。他の子ももう九州がええ言うて。
名古屋で産まれた子やけんどね。
もう九州がええようなってきたと言うてね。

みんなね。もう震災からもう神戸もう嫌なってもたわ言うて。
娘もね。震災見とってね。
テレビでガアッとしてたでしょ。
もう震災からもう神戸もう辛うなってもた言うてね。

もうちょっと屋敷出たらもう播磨灘見えるような

私は兵庫県のね。もうほんまの。
前も話したようにね。どない言うの。
田舎のほんまに山村育ちの人間や。
淡路やから。私は。
そやからね。もうちょっと屋敷出たらもう播磨灘見えるような。
ほんまな。部屋からねえ。
もうほんまにね。どうも無いんやけどね。
もうその思うた。
出発を間違うたなあと思うて。
そない思う時あるんやけんどね。

ここが焼けずに有ったから

私がちょっと間ね。洋装店に居とった言うのはやっぱり。
もうそこ震災でね。
もう家族みんなね。亡くなったかバラバラになってしもうたね。
そやからもう、ほんまにこのほんそこやけどね。
あの震災がちょっとねえ。
いいや、ご苦労言うよりも、もうほんまのみんな一緒や。
ここが焼けずに有ったから。
そいでも歩いてここへねえ。
もう主人といっぺん店の方に見に行くわ言うてね。歩いて。
まあほんまに3ヶ月くらいはちょいちょい見に来たね。
ここは良かったんやけんど裏が、裏の周りが。
大正筋も焼けたしねえ。案外広いねえ。
あれがもうほんとに大変なこっちゃねえ。
ここはもうバラック建てみたいなんやからね。
そやからなにも無かったねえ。

皆、良うしていただいた。私はもうそう思いますよ

やっぱし思うんは、お客さんが喜んでね。
今でも思うんは、この服着れる言うてね。ものすごい喜んでくれた時やねえ。
まあもう、いろいろなもう人もねえ。有るけど。
やっぱしね。皆、良うしていただいた。私はもうそう思いますよ。

もうそやけど、ここに置いとる物は、もうほんま売れ残りみたいな物ですよ。
いやいや、売れ残りみたいな物ですよ。
前はもっとね。やっぱし良い物でないとねえ。別注でけへんけどね。
今もう売れ残りって子どもが言うねん。
さっさともうゴミと一緒に捨てたら楽できるのに言う。
そらそうかも知らんけんどね。
やっぱしねえ。なかなかねえ。捨てられへんもんね。

今いつまでもね。出来るやことはもう夢にも思ってないもんね

うちだいたい、今だったらね。
買ってきても良い言うけど、売ってないみたいやなあ。
無い言うて。無いわ言うてですよ。知らんけど。
まあ私はね。どこにでも有る思うけんども。

ほんまにねえ。こう言う仕事はねえ。もうあかんようなったねえ。
私も洋裁習う時分にはまたねえ。へえ言うくらいな時代やけどね。
洋裁習うのん言うてね。
そやからもう私らの田舎やったらもう、ひどい人は女中に行くとかね。子守りに行くとか。
そんなんだったら有ったんかなあ。分からんけどなあ。

私らはねえ。そう言うようなねえ。しようか思うたんが。
母親は反対しよったね。ええ旦那が付かん言うてね。家にじっとしとれ言うて。
そやけど私らもこないして、今いつまでもね。出来るやことはもう夢にも思ってないもんね。

私は根明やな。苦にしない。苦にしないよ

私昭和3年生まれですよ。
この免状に書いてあるようにね。
そやから90、いや89かね。そこら辺ですよ。
そやからもう、ほんまに。
いや、元気よりね。
まあね。私は根明やな。苦にしない。苦にしないよ。
もうどない言うの。寝たら治る言うような感じでね。
みんなが見えてもね。寝られへんなんだとかね。
やっぱり私はもう疲れるんかね。なんか知らんけんども。
そんなにね。苦にならないねえ。
そら、明日の日が分からんから、子どもが言うねん。
明日のこと考えんと、あんたようそないして居れるなあ、とか言うて。しゃあない。
そやけど5人兄弟やさかいね。
そうやなあ。94,5で。
里の姉なんかはもう2,3ヵ月で100歳言うまで、ようちゃんと生きて居ったけんど。もう生きとったね。
それから次の姉は95歳でね。
みんなちょっとずつ間が抜けたんか。
なんせね。弱かって亡くなったんか知らんけど。
今ではもう女ばっかし残って。残っとうのは。
そやから3人残ってますけんど。みんな元気やね。
父親がたぶん97歳くらいまで生きたから。
そやからみんながね。90代まで生きとうから。
もうそれこそお金が足らんようになるんちゃうかな。
田舎はのんびりなあ。まあみんなねえ。
結構なお金にならんようねえ。
不動産持っとうから。

昔はね。真言宗のお寺言うたら結婚したらいかなんでんて。お坊さんは

私それでもなに。
そうやね。ほんまはお寺持っとった家や。
今のとこがね。
ずっと昔はちゃうけんどね。
お坊さんみたいなね。寺持っとったん。
もう5代ほど前やけんどね。
そんな家に育っとうからね。
どっちか言うとあんまりね。楽天家や。
そやから前にも話したように。
家はね。そんなんで、お寺さん継がなんだから。
父親はそやからね。
まあ言えば、許嫁みたいな養女と。
養女。昔はね。真言宗のお寺言うたら結婚したらいかなんでんて。お坊さんは。
ほいでもうね。
そないして、父や母言うのは、そないして。
まあ言うたらどう言うんですか。
許嫁みたいに三つくらいからね。そないして入ってきたみたい。
父親はちょっと遅うにね。18くらいに来た言うてる。
母親なんか三つの時に。
そやから養女として寺みたいなんに入ってきた言うて。
せやけんども、そんなんやけんども、ぜんぜんお坊さんは継いでないんやね。うんうん継いでない。
まあね。お嫁さん無いから。
もうたらいかん言うような、真言宗はな。

うんまあまあのんびりして暮らしたのがまあバカの一生やな

やっぱし、のんびりしとるな。
そんなもん、兄弟にでもケンカしたりそんなんはな。
ケンカ言うたら大袈裟やけんどね。そんなん無いな。

親戚でもな。ガタガタ言うたりしたことないね。
うんまあまあのんびりして暮らしたのがまあバカの一生やな。
今思うたらな。

直さなんだらねえ。渡されないもんなあ

やっぱり、これちょっとおかしいなと思うたら、もう直さなお客さんに渡したことが無いなあ。
ちょっとここがね。まずいと思ったり、自分がね。しとっても。
まあいっぺんこう掛けてみるわね。
そしたら、これがもう自分が納得いかないなと思ったらもう、し直すね。うん、し直すね。
いや、そんなこと無いけんどね。
やっぱし、お金ちょうだいするんになあ。
やっぱし、そんなね。もうぐちゃぐちゃで渡されへんからなあ。
せやから今でも直ししてますけど。
ここだけしてちょうだい言うても、どっか綻びとるとか有ったら、そこも私しとくよ。そこもしといてあげるよ。
その分はお金はもう追加言わないよ。私。
いったん決めたらもう言わないよ。
まああのね。
こう見て掛けて、あら、あそこ綻びとったわ、思うでしょ。
ほしたらそこもちょっと、もうついでやからしときましょってしようね。
いいや、嬉しいよりももうやっぱし、どう言うんですかね。
前に稽古した時分には、もうほんとに悪かったらもう直せ直せ言われよったもんね。
直さなんだらねえ。渡されないもんなあ。

そやからほんまにそんな人は今居れへんわな

うちの主人でももう几帳面な人で、私はずぼたれやけど、几帳面な人やったから。
もう今日はな、まだ売れとらんから昼ご飯は売れてからしか食べへん言いよったな。
滋賀商人言うんかねえ。近江商人言うんか。
なんせそう言う感じの人やったな。
ほんでその時分、主人が仕掛けた時分は、私はお弁当持って来たったり。
自分でにその間は家でね。お友達が3人くらい居って。
ちょっと手伝わして言うて遊び半分みたいにしよった。
そしたらまあ、お弁当持って来てあげてもね。
今日はまだね。売れとらんから。まあもうちょっと間してから食べる言うたね。うん。
堅苦しい人やったね。堅苦しい人やったなあ。

やっぱり余所でね。それこそ一生懸命に頑張った人やね。
そやからほんまにそんな人は今居れへんわな。
今やったらもうほんまに、子どもの方がお父さんよりごちそう食べるか分からへんでな。

世の中言うのはな。思うようにならんもんですねえ

もうなあ、どない言うの。そう言うようなとこにもう。
私はそやからまあ、ほんまに出発間違うたわ。出発間違うたわ。思いもって90までこないしとんねや。
いやいや、それがねえ。今でそう思うんやけんどね。
その時分にはなんとも思わずにね。
今の人やったら、まあパーッと離婚しとるわな。
いいや、厳しい人やったから。厳しい人やったから。うん、厳しい人やったからな。
几帳面でな。まあきっちりしとんねん。
怒りまくるんじゃないねんけどね。
きっちりした人やったな。うん。
私はまあムチャクチャで、もう好きなように大きなっとうから、恐ろしいわい。

それが、それでも言うてくれよったね。
そんな仕事ばっかししよったらな。長生きできひんわとな。
ぼつぼつしいよ言うてな。そない言いよったのにな。
自分の方が先死んどるわ。
世の中言うのはな。思うようにならんもんですねえ。

もう市場でもね。もうこんなんやけど宣伝してくれてやしなあ

もう無駄話ばっかし。
ほいで私も終わったのかなと思ってね。
あのまあ、もう市場でもね。もうこんなんやけど宣伝してくれてやしなあ。
まああれやわ。
何人こんなのねえ。するんかなあくらいにその日は思いよったけんどね。
もう楽天家やからね。もうしんどかったら休んだりね。
私書道しよるからね。その間に。書道に行った日がね。有ったからね。
ほいで、ああひょっとしたら来てはったん違うやろかくらい思わんこともなかったけんどね。

違う糸買うてきてからやと思うのと一緒やね

それがね。
あの先生言うのはもう全国ネットくらいな先生でね。
武庫川の先生、あの大学のね。先生しよった。
まあ、それでも中途で辞めてね。もう書道一本やね。
その人もね。その代わり、この墨、墨の磨り方悪い。この字にはこの墨使うたらいかんとかな。言う。
この字にはね。この墨がな。もう濃い過ぎるとかな。
墨な。その墨汁使いよったら、そらもう怠け。
たまには大きな軸装のもん書く時はそんな磨って間に合わんわなあ。せやからもう墨液使うけんどね。
もうああ言う和歌書くような時はね。古い筆使わんとさらの筆買えとかな。
難しいで。うん。
私らでもまあ、この糸ではね。
この糸有るんやけんど、これはこの糸はあかんわ。違うの糸買うてきてからやと思うのと一緒やね。
やっぱり先生言うで。
あんまりほな高い墨買うとったらね。自慢するようにこの墨なんぼ出した言う人も居る。
そんな墨よりも自分でにな。ぼつぼつとこう磨れ。カカッと磨ったらいかん言うてな。こう磨れ言うてね。
やっぱしね。その代わり全国ネットの先生やで。
元はこの大丸さんにね。教えに。
ああ言うセンター有るでしょ。そこに来よったんやけどね。
今も来よってやけんどね。
もう私ら長いこと行くから、もうその結局その同好会に入ってね。
ほいで先生とね。まあ雇いこんどるみたいな形になっとんのらしいわ。
お世話にする人がそない言うてはった。
せやからね。センターよりも月謝は高いですよ。
もうそやけんど。もうセンターからもう1年ほどしたら、あれ半年くらいやからな。
もう切れてまうからな。
まあそやけどそれが、生徒が無うてね。生徒が無いねんわ。今そんなん。
そんな絵描いたりしとられへんやんね。

仕掛けたら辞めへんねんな。なんでもな。いやなんでもな

週に2回行くの。
いや、ここには置いてないなあ。
あのね。もうそれはね。
同じ物は二回講義せんよ。二回教えてくれへんよ。
今度はこのこれ言うてね。
うん。厳しい。今になったらな。厳しい。
初めはそんなこと無いけどな。
そうやね。30年くらいなあ。世話になっとうかなあ。
まあ、もうそれがね。ホッとねえ。
自分でには、月謝もう自分でに主人に言わんでも払えるようになったなあ思った時に、ホッとうまいことね。
お友達と一緒に行ったんやけど、そのお友達はあんな厳しいのやめや言うて辞めてしもうたけんどね。
私が残っとんねん。いえ残っとる言うこと無いけんどね。
私悪い癖やなあ。自分で思うねん。
なんせ仕掛けたら辞めへんねんな。うん。
いやいや、仕掛けたら辞めへんねんな。うん。
なんでもな。いやなんでもな。

今はそんな続けるもん居ってないで。なんぼ先生が良うてもな

津田さんまだ行きよんのほんまに、言うからね。
ああまだ生きとんねん、言わなしょうがないよな。
今はそんな続けるもん居ってないで。
なんぼ先生が良うてもな。うん。
先生が良うても続けへんで。
そりゃもう1ヶ月で、今までやったら辞めた人もたくさん居るわ。
震災や言うたら辞めてね。
もうなんかこう言う、ちょっと先生が作品展や何や有る言うたらね。
もう、あれや、やっぱどないしても費用が掛かるでしょ。
そしたらもう、やんぴや。うん。
今もう何でも金要ることはやんぴや。
ほいで、もうそやからね。
一組がもうその当時やったら25,6人有ったんやけんどね。
それがもう5人くらいなってもた。
それでも余所の組とね。合併しては10人くらいにし。
また辞めて5,6人なったらまた余所の組に引っ付けてしまって。
そやけんど私らの一応組がまあ、まだええ方とちゃうかな。先生にしたらな。

やっぱしねえ。やっぱ続けてね。したからね

あのね。子どもにも言われるねん。
お母さんあほとちゃうか言うて。
なんでもこの、あっちチョロリこっちチョロリしたらええのに言うんやけんどね。
そやから店でもね。ちゃんと綺麗なとこへ頑張って行ったら良いのにね。
もうここでもええねん。ここでもええねん。

やっぱしねえ。やっぱ続けてね。したからね。
ほいでまあ、お客さんも続く言うような感じやわなあ。
やっぱりねえ。ちょっと私はもう自分が出来悪いから、人さんの小言言うようなことも出来んわなあ。
そら賢い人やったらねえ。ババッと言うたらええけんどねえ。
自分が出来悪いしもう明日の日が分からんのになあ。
さしてくれ言うたらほんまに神さんや思うとかななあ。
あなたらどこでもずっとね。良いとこばっかしね。歩いとってやからね。よう分かるけんどねえ。
今の時代と違うて。

この時計ね。
ちょっと早い。半時間くらい早いねん。
いや私な。これをな。背が足らんからな。
あんじょう直したら、戻したらええのにな。横着しとんねん。

ほんでね。もう子どもでもね。
来たらこうしてもうお客さんでも来たらしてくれるんやけどね。
そやけんどねえ。
うんいやそいでもねえ。あの気の毒や。またね。
またちょいちょいここね。毎日通っての人も居んねん。買い物にね。
ほんなん言うたらしてくれるんやけんどね。
私がもうええやん。みんなこの頃どこにでもね。時計持って歩いとおしね。するから。
またいつでも良いわとか思ってね。するんやけどね。

ゴミから落としていかないかんわ。
危ない。ゴミが付く。
ここら触ってからな。